福地源一郎が見た西宮の狂乱
どんな伝承か
幕臣の福地源一郎は、慶応三年十一月二十九日に軍艦で兵庫に着き、糟屋筑州にしたがってすぐ大坂へ向かう途中、摂津西宮で「ええじゃないか」の騒ぎに出くわした。福地は『懐往事談』に、西宮に至れば市中は舞踊に狂呼して人足を一人も得ることができず、糟屋が憤然として宿役人を叱咤しても、宿役人はただ恐れ入って低頭平身するばかりで肝心の人足を集めることはできなかったため、その夜は西宮に一泊し、翌日ようやく大坂に着いたと記している。福地自身は、この御札降りを京都方の人々が人心を騒がせるために施した計略だと解釈していた。
原典より
西の宮に至れば市中舞踊に狂呼して人足の一人も得ること能はず。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。