金沢家の毘沙門天と信貴山詣で
どんな伝承か
大阪西区の初代区長をつとめた金沢卯右衛門の手記によると、金沢家には毘沙門天の札が降った。そこで一族そろって踊り、おおぜいで信貴山へ詣でたという。一方、金沢の母方にあたる柏原屋には、一〇〇枚ほども降ったと伝わる。『西区誌』に載るこの話は、大坂市中の降札がときに特定の家へ集中したさまを示している。同じ大坂の記録「神仏臨降末代栞」からは、聖徳太子の銅像や河内誉田八幡、江之島弁財天など、ほかにあまり見られない降下物も拾い出されている。
原典より
大阪西区初代区長金沢卯右衛門の手記によると、金沢家には毘沙門天が降り、一族で踊って大勢で信貴山詣でをし、一方金沢の母方柏原屋には一〇〇枚ほども降ったという(『西区誌』第一巻)。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。