郁子の念写と乾板の入らぬ実験
どんな伝承か
大橋邸での不手際をめぐり、立ち会ってもいない中村清二が新聞にすり替えだと語ったことも重なって、御船千鶴子は明治四四年一月一八日、毒をあおって命を絶った。福来は丸亀の判事夫人長尾郁子に実験を頼み、未現像の乾板に写した高の字を透視で当てさせると、乾板に説明のつかない感光が現れた。そこで念を乾板に送らせることを思いつき、一二月二七日には丸の図形が満月のように写ったという。翌年一月、山川健次郎ら東大の物理学者が長尾家で実験したが、乾板が入っていないことを郁子が見抜いて騒ぎとなり、心を痛めた郁子は三月二六日に世を去った。
原典より
黒の乾版に白くうきでた丸は、暗天に輝く満月のようであった。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。