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桜田門の上奏と山中の絶食修行

所在地岐阜県恵那市
年代明治二〇年
登場田中守平、田中虎之助、守平の父
出典霊術家の饗宴

どんな伝承か

田中守平は明治二〇年前後、零落した旧家の三男として岐阜の山村に生まれ、十一歳で国粋的な一文を雑誌に投じた。十六歳で上京して苦学するうち、日露開戦を説く上奏文を懐に、明治三六年一一月一九日、桜田門で天皇の行列に飛び込んで捕らえられた。誇大妄想とされて郷里へ送り返された守平は、山中に一間四方の小庵を結び、前後九十日に及ぶ絶食の中で暗闇で物を見るなどの霊能に目覚めたという。病を治す力が評判を呼んだが政治運動の道も選び、のちに太霊道真典を完成させ、大正五年に東京麹町で太霊道本院を開いて霊術家の養成を始めた。

原典より

天皇の入門を待っていた彼は、「憂国の少年田中守平、謹んで陛下に奏し奉る」と絶叫して、隊列に突入したのである。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))

『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。

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