飯の問答と弓で占う二ツ森のオビシャ
どんな伝承か
二ツ森の氷川社と稲荷社では、正月の初めにオビシャが行われていた。元弘・建武の戦乱のころ、源氏の一族の者がこの地に来て二ツ森のそばに庵を結び、年老いて村人と親しんだ末に、武家の生まれだからと両社の祭りの日に社前で蟇目や弓射を行って神を慰めたのが始まりで、作法が忘れられた後も形だけが残り、武者祭と呼ばれたという。氏子は東西に分かれて当番の宿に集まり、五日は稲荷社、六日は氷川社を祀った。主の側が高く盛った飯を残さず食べよと勧めると、客の側はそれではそちらの食べ物が尽きると返す、そんな問答が毎年交わされた。七日には一同が拝殿にこもり、竹の弓矢で葦の的を射て、当たり具合でその年の作柄や天候を占ったという。
原典より
こうした問答が毎年主と客との間で繰り返される。—— 厄除け――日本人の霊魂観(佐々木勝・民俗学・厄除け信仰・1988年(昭和63年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
厄除け――日本人の霊魂観(佐々木勝・民俗学・厄除け信仰・1988年(昭和63年))
『厄除け――日本人の霊魂観』は、佐々木勝が昭和六十三年に名著出版から刊行した民俗信仰の論考集である。鬼・悪魔・疱瘡神・一つ目小僧など人に災いをもたらす神霊を「厄神」と総称し、その来訪を防ぐ呪術と祀り上げる祭祀を、著者の民俗調査と国学院大学民俗学研究会の採訪記録などの事例から説く。禁忌と呪術、百鬼夜行と目籠、鬼の宿と笹神様、年神とミタマの飯、厄年と年祝い、正月行事と司祭者など八章からなり、うち四章は書き下ろしである。