風邪の神様となった水戸の敗残兵の墓
どんな伝承か
明治元年十月十日、岩富の太兵衛の店に一人の旅人が立ち寄り冷酒を飲んでいたところ、三人の追討の武士に見つかり斬り合いとなった。旅人は水戸藩の敗残兵で、揚木一本で応戦したが敵わず討ち取られ、首を刎ねられた。首のない死体は翌日柳沢原に埋められ、名前は半部平義中と記されていたという。今、西林の大塚にはこの義中の墓碑があり、風邪の神様として参詣する者が多いという。
原典より
今、西林の大塚に義中の墓碑があるが、風邪の神様として参詣する者が多いという。—— 佐倉市史 民俗編――伝説・怪異(佐倉市(編)・佐倉市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
佐倉市史 民俗編――伝説・怪異(佐倉市(編)・佐倉市史)
『佐倉市史 民俗編――伝説・怪異』は、千葉県佐倉市の市史の民俗編のうち、第七章「民俗知識」と第八章「口承文芸」の伝説の節である。市内で採録した吉凶の予兆やまじない、民間薬、天気の言い伝えと、狐や狸の化かし、デーダラボーの足跡、岩富の首なし塚、天狗、狐火、印旛沼のカワボタルなどの伝説を収める。伝説は文化財保護委員会の分類に倣って自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説に分け、終わりに村々の禁忌を置く。