生き神と祀られた代官の甘利さま
どんな伝承か
江戸時代の末、中之条陣屋に代官として着任した甘利八右衛門源為徳は、坂木五千石の天領十四か村を見て回り、百姓が二つの難題に苦しんでいることを知った。一つは坂木・中之条・横尾の田畑が乏しく貧しいこと、もう一つは御伝馬や中山道の宿場への助郷の負担である。代官は中之条の牧の内一帯の草原を開墾させて耕地を分け与え、用水の取り入れ口を塩尻村と話し合って上流へ移した。さらに幕府に根気よく願い出て、助郷の免除を勝ち取った。人々は代官を生き神と敬い、甘利大明神として牧の内に祠を建てて祀った。いまも五月十三日に例祭が行われ、霊園の老松の根元に祠が残るという。
原典より
そしてみんなの心はいつしか一つとなって甘利さまを神とあがめ、甘利大明神として社祠を牧の内に建立した。—— 坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説(坂城町(編)・坂城町誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説(坂城町(編)・坂城町誌)
『坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説』は、長野県坂城町の町誌上巻(自然編・民俗編)から、民俗編の数章を抜き出したものである。祟る所や神罰、ヒトダマ・狐火などの怪異、魔除け、植物の禁忌といった俗信を地区ごとの事例として番号を付けて並べ、続いて甘利さま、天田長者とほうず池、苅屋原の七不思議、貉和尚、夜泣き石など三十余りの伝説を収める。伝説の章は調査員の調査をもとに、以前の調査記録も二、三篇併せて載せる。