朝廷軍に滅ぼされた羊太夫と大島の城
どんな伝承か
仏教伝来から間もないころ、服部連という人が百済渡来の仏像を難波の堀へ投げ込んだ罪で甘楽郡那佐郷に流された。妻の玉照姫との子が菊連、その子が羊太夫である。羊太夫は当時王島と呼ばれた大島に城を築き、神農原と野上にも山城を構えた。朝廷に忠誠を尽くし、家来八束小脛の神通力で都と上野を自在に往き来していたが、やがてその力が失われて使者が途絶え、朝廷は謀反と解して討伐軍を送った。三方を川に囲まれた大島の城は容易に落ちなかったが、火を放たれて陥落し、羊太夫は出城で戦った末に白倉の金光山へ逃れて敗れた。大島では一族の死を弔い、毎年盆の十六日の夜に城山で百八燈を灯して供養している。
原典より
仏教が日本に伝わって間もなくのこと、服部連という人が百済から伝わった仏像を難波の堀に投げ込んだ罪をもって、ここ甘楽郡那佐郷に流された。—— 富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史)
『富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話』は、富岡市が編んだ市史の民俗編のうち、民俗知識の章の末尾と口頭伝承の章を収めたものである。口頭伝承の章は、昭和四十年代以降の中学校郷土部の採話や額部地区の民俗調査、市史編さんの調査で聞き取った昔話・伝説・世間話と、富岡・甘楽方言の解説から成る。伝説は自然的・社会的・信仰的の三つに分け、羊太夫や小野小町、貫前神社にまつわる話と多くの地名起源を載せる。