光厳帝が車を返した返車坂
どんな伝承か
富岡市の高瀬から額部へ向かう坂道にまつわる伝説。昔、光厳帝が足利尊氏に敗れてこの地へ落ちのび、坂の手前まで来たところで「ここまで逃げれば大丈夫」と車を返させたことから、この坂は「返車坂」と呼ばれるようになったという。坂のそばの谷はジョーコーヤツ(濃香谷)といい、光厳上皇の名にちなむと伝えられている。
原典より
昔、光厳帝が足利尊氏に破れて、この地へ落ちのびて来た。—— 富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史)
『富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話』は、富岡市が編んだ市史の民俗編のうち、民俗知識の章の末尾と口頭伝承の章を収めたものである。口頭伝承の章は、昭和四十年代以降の中学校郷土部の採話や額部地区の民俗調査、市史編さんの調査で聞き取った昔話・伝説・世間話と、富岡・甘楽方言の解説から成る。伝説は自然的・社会的・信仰的の三つに分け、羊太夫や小野小町、貫前神社にまつわる話と多くの地名起源を載せる。