太田部村のオーサキ狐事件と延享の請書
どんな伝承か
延享二年、秩父郡太田部村でオーサキ狐にからむ事件が起き、これをきっかけに関東郡代伊奈半左衛門忠達の役所が村民に請書を出させたものと見られている。おうさき持ちとされた家との縁組や田畑の質入れ、金の貸し借りを断る弊害をやめ、噂を口にしないと誓わせる内容で、当時の太田部村からは名主一人・年寄七人・百姓四十人・家抱三十人の計七十八人が名を連ねた。この請書は同村の新井家に伝わった文書の中から見つかったもので、のちに三山村で作られた再請書の前半とほぼ同じ文面である。
原典より
この請書は、延享二年(一七四五)に太田部村でオーサキ狐に係わる事件が起きたのを契機に当時の関東郡代伊奈半左衛門忠達の役所が提出させたものかと思われるが、…—— 近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一)
『近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相』は、小池信一が著した、埼玉県に関わりの深い憑き物オーサキ狐を近世の古文書から論じた研究論文である。寛延四年の秩父郡三山村「おうさき」追放の再請書、天保六年の尾先狐追放教諭の触をめぐる村役人の願書、慶応三年から翌年にかけての比企郡番匠村の沼境と尾崎狐をめぐる出訴一件の三史料を翻刻する。はじめにで民俗調査から知られる俗信を六項目に整理し、各史料に解説を付す。