遭難の夜に傷ついた本尊と太子像
どんな伝承か
明治十八年の『明教新誌』号外が伝えた小田原の事件である。幸町の紺屋広井徳平は孝行と篤い真宗信仰で知られていたが、妹おせいは乱暴な夫の中西義澄のもとから実家に戻り、離縁の話がもつれていた。五月十六日の夜、一家が十字町の光円寺の説教を聞いて門を出ると、覆面の男がおせいに組みつき、刀を抜いて暴れた。しかし調べると誰も大きな傷を負っておらず、中西が捕らえられた。一家が隠居家の仏壇に礼を述べに行くと、本尊と両大師の御影、聖徳太子の木像にそろって傷がついていた。円了は現地で調べたが判定できなかった。
原典より
不思議や御本尊並に両大師御影、聖徳太子御木像共に御疵ありしに、一同奇異の思をなし涙に咽ぶより外なかりしとぞ—— 井上円了 妖怪学講義(井上円了 著・平野威馬雄 編) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
井上円了 妖怪学講義(井上円了 著・平野威馬雄 編)
『井上円了 妖怪学講義』は、明治期に哲学館で講じられた井上円了の『妖怪学講義』から要所を選び、平野威馬雄が現代の文章に改めて編んだ抄録である。狐憑きや化物屋敷、怪火、幽霊、コックリなどを題材に、円了が古書から抜き出した記事、各地から寄せられた報告、円了自身の現地での調べを収める。原著の八部門のうち理学・心理学・宗教学・雑の四部門を章に立て、序で研究の経緯と分類を、結びで編者の見方を述べる。