月輪の夢で生まれた妃と観音堂の草創
どんな伝承か
福山市鞆町の福禅寺は、もと観音堂といった。承平の頃、同じ市の赤坂の新庄太郎実秀の娘明子が村上帝の妃に召され、皇子を生んだ。その宝寿遠長を祈るため、勅令によって空也上人が建てたものと伝える。明子の名は、母が「月くまなく明き夜に月輪懐に入る」と夢みて生まれたことによるという。明子は堂の完成をことのほか喜び、「補陀落や南の岸による波の月の光も代々の灯」と詠み、一寸八分の観音を巻き石の函に納めて堂下に埋め、村上帝も普門品を書いて添えられた。赤坂には五五間半もの幅をもつ新庄太郎の長者屋敷が残っていたという。
原典より
明子は「月くまなく明き夜に月輪懐に入る」と母が夢みてうまれたから、そう名づけられたという。—— 広島県史 民俗編――伝説の分布(広島県(編)・広島県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
広島県史 民俗編――伝説の分布(広島県(編)・広島県史)
『広島県史 民俗編――伝説の分布』は、広島県が編んだ県史民俗編のうち、「休養と娯楽」の部に置かれた「伝説の分布」の章である。八幡信仰にかかわる聖蹟伝説や炭焼長者、厳島をめぐる石神やうつぼ船の伝説、和泉式部・虎御前・菖蒲前を語り歩いた巫女の伝説、人柱や竜蛇の伝説などを、『芸藩通志』『福山志料』などを引いて論じる。「八幡信仰の流れ」「厳島伝説の周辺」「巫女と伝説」「県北の伝説」の四節からなり、伝説の名を見出しに立てて所在地とともに述べる。