天慶元年に都の辻に祀られた岐神
どんな伝承か
天慶元年九月二日、都のあちこちに彩色された男女の神像が祀られた。像は臍の下に性器が彫り込まれ、人々はその前に供え物をし、香や花を捧げた。この神は岐(ふなど)神といい、祟りをなす「御霊」を祀るものとされた。御霊は同時に疫病神でもあり、フナド神信仰は祟り神・疫病神を祀ったものと考えられる。像が辻に建てられたのは、外の世界と接する境で、害をなすものから村や町を守るためであった。災いをなす霊が祀られることで守護神に転じるのは、菅原道真が天神となったのと同じ道理だとされる。
原典より
都のあちこちに彩色された男女の神像が祀られた。—— 呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))
『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。