飢饉に備えた本多家のそば倉
どんな伝承か
関東武士だった本多家の祖先は武家政治を嫌って庶民になろうと発心し、伊達の川俣まで落ちのびて機織りを始めた。その弟が会津へ旅した折に楊枝宿へ住みつき、米商人となり、やがて楊枝峠が国境になると会津藩の廻米や払下げを扱う半官半民の御用商人になった。湖辺の高冷地は三年に一度は冷害に見舞われたため、本多家は代々、自分の倉には米を入れずそばを囲えと申し送り、土蔵一杯にから蕎麦を蓄えた。天明や天保の飢饉にも、楊枝宿では倉の扉を開いて命をつないだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
猪苗代町史 第2集(民俗編)――昔話と伝説(猪苗代町(編)・猪苗代町史・自治体史(民俗))
福島県猪苗代町(会津)に伝わる口承を語り手付きで網羅する。昔話は猫と単・ほととぎす・かちかち山・猿蟹合戦などの動物昔話、五月節句の菖蒲とよもぎ・澄子と清子・朝鮮の桃太郎・話三両・亀ヶ城の女中の一つ目小僧・花咲爺さん・竹の子童子・猿むこ入り・笠地蔵・こぶ取り爺さん・姥捨て山・片目の爺さまなどの本格昔話を収める。