小田村を拓いた増子若狭
どんな伝承か
小桧山安芸守が地頭であったころ、小田の原は狐狸の棲む荒野で田園は無かった。仙道筋の侍増子若狭は毎年春秋に石筵越えで会津の虚空蔵参りをしていたが、ある年小田越えが近道と教えられてこの原を通り、草原の肥沃さに目を留めて六角平の堰のあたりに粟の種を蒔いた。秋の参詣の折その粟がよく実っていたため、見込みがあるとして移住を決意する。石筵の家の次男坊であった後藤越中も共感して同道し、二人で開墾を続けて今の美田を実現させたと伝わる。後藤越中の後裔兼四郎は山仕事を手伝いながら湖南秋山浜の秋山雄記家に身を寄せ、生涯を閉じたという。
原典より
その昔、小桧山安芸守の地頭のころは、領地一面狐狸の棲む荒野で、小田の原に田園は無かった。—— 猪苗代町史 第2集(民俗編)――昔話と伝説(猪苗代町(編)・猪苗代町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
猪苗代町史 第2集(民俗編)――昔話と伝説(猪苗代町(編)・猪苗代町史・自治体史(民俗))
福島県猪苗代町(会津)に伝わる口承を語り手付きで網羅する。昔話は猫と単・ほととぎす・かちかち山・猿蟹合戦などの動物昔話、五月節句の菖蒲とよもぎ・澄子と清子・朝鮮の桃太郎・話三両・亀ヶ城の女中の一つ目小僧・花咲爺さん・竹の子童子・猿むこ入り・笠地蔵・こぶ取り爺さん・姥捨て山・片目の爺さまなどの本格昔話を収める。