長曽我部家の犬神死刑と堀の跡
どんな伝承か
土佐の長曽我部家も犬神を持つ者を弾圧したことが、内閣文庫にある『土佐海』続篇に見える。柳田国男の引く文によれば、長曽我部家は犬神を詮議して死刑に処し、その家を断絶させたが、わずかに子孫が生き残り、かつては人々がこれを卑しんで寄り合いにも入れず口もきかなかったという。さらに桂井和雄の話では、安芸郡の海沿いのある町に、今もこの一統が不便な山手の土地へ追いやられ、堀を隔てて住まわされていた跡がうかがえるという。
原典より
柳田国男先生引用の文によると、ここでも犬神を吟味し、死刑に処し、その家を絶やしたが、その子孫まれに存し、昔はこれを賤しんで参会言語するものがなかったとある(郷土研究一の七)。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。