無相大師の別れと関也の地名
どんな伝承か
正眼寺を開いた無相大師は、都を離れて伊深の里に暮らし、牛を飼いながら牛牧に住んでいた。今の正眼寺の裏山にある座禅岩で座禅を組んでいたところを、都から来た天皇の使いが見つけたといい、その場所が大門の勅使岩だという。天皇に招かれて都へ上ることになった大師を、人々は名残を惜しんで関まで見送ろうとした。大師はここを関と思えと言って別れたので、その地を関也、つまりセキヤと呼ぶようになったという。縁があればまた会える、ここを関所と思って帰ってくれと大師が村人を諭して別れたからだとも伝わる。
原典より
それから里人は、ここを関也(関所也)というようになったという。—— 美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史)
『美濃加茂市史 民俗編――伝説』は、美濃加茂市の市史民俗編のうち、第一三章「俗信」と、第一四章「伝説 昔話 世間話」の総説および第二節「伝説」を収めたものである。天候・農事・人事にかかわることわざと俗信、民間療法、樹木の禁忌を挙げたうえで、伊深・蜂屋・太田・三和など市内各地区に伝わる三度栗、龍宮さまの淵、火塚、山男、かぶと淵などの伝説六十四話を記す。昔話・世間話の節は含まず、伝説の多くは題に伝承地区の名を添える。