ナスビの馬の禁忌
どんな伝承か
太田の三星屋こと磯谷家では、盆にナスビの馬を作らない習わしがある。和宮が将軍家茂に嫁ぐため中山道を下った際、先祖の貞助は加納宿から一行を迎える荷物の宰領という大役を任された。荷が五十余りもあって太田だけでは馬が足りず、加茂野・蜂屋・絹丸と駆け回って二百五十頭余りを集めたが、一頭の手配が遅れて出迎えの刻限に間に合わなかった。貞助は切腹を迫られたが、加藤小六という武士の情けで助命され、そのために八百五十両を費やした。庄屋も務めた家は田畑を売り尽くし、貞助は臨終の床で、以後盆にナスビの馬を作るなと遺言したという。
原典より
太田の三星屋・磯谷家では、盆の行事にナスビ(茄子)の馬を作らない。—— 美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史)
『美濃加茂市史 民俗編――伝説』は、美濃加茂市の市史民俗編のうち、第一三章「俗信」と、第一四章「伝説 昔話 世間話」の総説および第二節「伝説」を収めたものである。天候・農事・人事にかかわることわざと俗信、民間療法、樹木の禁忌を挙げたうえで、伊深・蜂屋・太田・三和など市内各地区に伝わる三度栗、龍宮さまの淵、火塚、山男、かぶと淵などの伝説六十四話を記す。昔話・世間話の節は含まず、伝説の多くは題に伝承地区の名を添える。