旅芸人の母子が残した屋白大黒舞
どんな伝承か
十一月の時雨の日、柏山徳三郎の門に旅芸人の母子が入ってきた。母は南部太田村清水観音寺の者で、夫に先立たれ凶作続きで芸を売りながらここまで来たと語った。徳三郎は炉に薪をつがせて親子六人を泊め、久しぶりに人らしい食事と寝床を与えた。翌朝、母子は礼に大黒舞を舞い、九歳の勘太郎の舞姿と姉千代の太鼓は目を見張るものであった。徳三郎は西風の所有地の空家を与えて開墾を勧め、籾一石五斗を贈った。母子は恩人の許しを得て柏山の姓を名のり、のちに小野寺に改めた。小山の屋白大黒舞はこの由緒で舞われるのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。