七十五匹の人狐を論破した人狐辯惑談
どんな伝承か
文化年間、神門郡の陶山簸南という人は『人狐辯惑談』を著し、狐持ちの俗信に反論した。世間では狐持ちの家には人狐が七十五匹ずついると言うが、なぜ人狐に限って七十五匹と数が決まっているのか。その家がよそと縁を結ばず分家もしなければ子は生まれないのに、新しく縁組をしたり分家ができたりすると、たちまち七十五匹ずつの子が生まれるとでもいうのか。生き物にそのようなことはありえない、と簸南は説いた。それでも狐持ちの名は野火のように村から村へ広がり、家筋とされた人々は事あるごとに白い目で見られたという。
原典より
俚俗狐持ちの家には、人狐七十五匹ずついるといえども、なんぞ人狐に限りて七十五匹の定数あらんや。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。