元就が多治比川に放った小田蛙
どんな伝承か
大永年間、毛利元就が京へ上った折、山城国井堤の玉川にすむ蛙を数十匹捕らえさせ、多治比川に放したと伝えられる。この川の岸には山吹が黄金を敷いたように一面に咲くので、それにふさわしいと思い立ったのだという。夜が更けると蛙は鳴き交わし、その声は鯛の鳴き声のように澄んで聞く者の心を静めた。この蛙が鳴くと、ほかの蛙はたちまち声を止めたと古老は語った。姿は青蛙に似てやや太く、色は薄黒く、指先に白い玉がある。小田蛙という名の由来は分からず、井手を小田と取り違えたものかとも言われる。
原典より
小田蛙 往し大永年間元就公御上洛之節山城の国井堤の玉川なる蛙を数十疋とらせて多治比川の流に放玉ふとなん…—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。