額を抜け出し田畑を荒らす絵馬の馬
どんな伝承か
吉田町相合の宮崎神社は相合の八幡さんと呼ばれ親しまれている。毎年九月十五日の祭りには流鏑馬が行われ、本殿の前に古びた絵馬が掛けられる。毛利輝元の時代の名高い画家等顔が描いたと伝わるこの馬の絵は、秋になると額を抜け出して田畑を駆け回り、稲や芋を食い荒らした。困った土地の者が後の絵師に頼んで手綱を描き足させ、額につなぎとめたうえ、大きな箱に一年分の穀物を入れて納めると、暴れなくなった。今も祭りの日だけは箱から出して本殿に掲げる習わしで、一年でも怠れば大暴れするという。
原典より
この馬の絵は毛利輝元公の時代に有名な等顔という画家が描いたものと伝えられているが、この額の馬が秋になると額から抜け出て田畑を走りまわり、…—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。