血で草が染まった赤柴山の合戦
どんな伝承か
白木町井原と吉田町小山の境にある赤柴山は、天文年中、武田刑部少輔信実の兵が樋爪城主樋爪四郎兵衛を攻めた際、毛利元就の援軍が駆けつけて激しく戦った所だという。両軍とも多くの死傷者を出し、流れた血が草を赤く染めたことから山の名が付いたともいわれ、山の谷水が赤いのもそのためだと語られる。僧が戦死者を弔って般若経を唱えたので、その谷を般若谷と呼ぶ。一の谷という所には武田方の武士の墓が八基あって死骸塚と呼ばれ、血刀を洗ったという太刀洗池もある。
原典より
両軍とも死傷多く流血このため草を染めたのでこの名がついたともいう。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。