ケヤキのうろに落ちた稲穂と穴穂の名
どんな伝承か
亀岡盆地の西にある穴太村には、地名を「穴穂」の意味とする起こりの話が伝わる。雄略天皇の二十三年、トヨウケノオオカミを丹波から伊勢国の山田へ遷すとき、この地が神の一行の休む御旅所となった。神前に供えた稲の穂がケヤキの大木のうろにこぼれ落ち、そこから苗が生えたので、穴の穂、すなわち穴穂の名がついたという。村には延喜式に載る古社の小幡神社もあり、土地の古さを物語っている。
原典より
すなわち、雄略天皇の二十三年、トヨウケノオオカミを丹波から伊勢国山田に遷座するさい、この地がお旅所となり、神前に供えた稲の穂が、ケヤキの巨木の穴におちこぼれて苗が生じたことから、穴穂の名がおこったという説話である。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。