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皇位を辞して高熊山に隠れた穴太の皇子

所在地京都府亀岡市曽我部町穴太(高熊山)
年代伝承(口承)
登場穴太の皇子、皇位を辞して山中に隠れた皇子
出典出口王仁三郎

どんな伝承か

穴太村の西に続く丘陵の高熊山は、古くからの霊山として知られる。山には小幡神社の奥宮があったと伝えられ、また次のような言い伝えも残っている。武烈天皇の時代、皇位の継ぎ手を決めるにあたって、穴太の皇子は位につくことを辞退して身を隠し、そのままこの山の中で生涯を終えたという。喜三郎が修行の地にこの山を選んだのも、こうした霊山であったからだろうと著者はみている。

原典より

また、武烈天皇の時代に、皇嗣をさだめるさい、穴太の皇子が皇位につくことを辞して身をかくし、生涯をこの山中で終わったという言い伝えものこっている。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))

『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。

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