久兵衛池の争いと初めて聞いた神の声
どんな伝承か
一八八七年、上田家の屋敷には七代前の先祖久兵衛が掘ったという灌漑用の久兵衛池があった。屋敷の裏鬼門にあたり、七代のうちに家の女七人が身を沈めて死んだと伝わり、喜三郎も弟の幸吉も幼いころ溺れかけた。父吉松が池を埋めはじめると、水を引く村人百二十人ほどが反対し、小作地を取り上げるとまで脅した。奉公先の斎藤家でその悪口を耳にした喜三郎は暇を取り、一週間ほど毎夜小幡神社で神の助けを祈った。ある所伝では、七日目に「解決をつけてやる」という神の声を聞いて帰ると、村の側が折れて来ていた。これが喜三郎が神の声を聞いた最初だという。
原典より
そのうえ、この池は、屋敷の未申(南西、裏鬼門)にあたっており、七代のあいだに、上田家では女七人が池に入って死んだと伝えられ、喜三郎も弟の幸吉も、幼時に池にはまって死にかけたことがあった。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。