虎天堰の茶店で見せられたナオの筆先
どんな伝承か
穴太での活動に見切りをつけた喜三郎は、園部へ移る途中、船井郡に入る虎天堰まで来て金光教の祭壇のある茶店に腰をおろした。行者姿の喜三郎に女主人が神様のことをする人かと尋ね、神を見分ける役だと答えると、奥から文字を書いた三、四枚の半紙を出してきた。茶店は八木の人力車夫福島寅之助と妻ひさが博覧会の見物人を目当てに街道筋へ出した店で、ひさは綾部の出口ナオの三女であった。喜三郎は仮名を連ねた筆先に目を通し、世の中が替わるという言葉に強く共鳴して、綾部行きを約したという。
原典より
ひさは、この若い行者に、「ぜひ綾部へ行って母に会ってくれ」と頼み、喜三郎は「行ってあげましょう」と答えた。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。