座敷牢の柱に釘で刻まれた最初の筆先
どんな伝承か
一八九三年の冬、綾部の町では原因のわからない火事が相次いだ。ナオが日ごろ、改心しなければどこに飛び火するかしれないと大声でくり返していたため、三月に材木商が焼けると、近所の者が放火はナオの仕業だと警察に密告した。ナオはすぐ放免されたが、神がかりに手を焼いていた婿の大槻鹿造はこれを機に警察に願い出て、ナオを狂人として座敷牢に閉じこめた。四十日に及ぶ牢の中で、ろくに食事も与えられないナオは、神に教えられて掌をしゃぶり飢えをしのいだ。そして神の命ずるまま落ちていた釘で柱に文字を刻んだ。読み書きのできないナオが記したこのひらがなの文が、筆先の始まりだという。
原典より
ナオは、座敷牢のなかで、神の命ずるままに、落ちていた釘を拾い、柱に文字を書きつけた。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。