エスペラント普及と紅卍字会との提携
どんな伝承か
大正十一年七月、巡教中のすみが伊豆大仁でバハイ教の女性布教師フインチとルートに出会い、二人が大本を訪れたことがきっかけで、王仁三郎は世界共通語エスペラントの普及に乗り出した。どの民族から生まれた言葉でもない人工語なら、国や民族の優劣を生まないと考えたからである。王仁三郎自身も猛勉強して作歌辞典まで出し、分所や支所には百を超える普及会の支部ができ、一年後には祖霊社に創案者ザメンホフの霊を祀った。また、関東大震災の救援で来日した中国の紅卍字会とも親しくなって提携し、翌年には神戸に道院が開かれた。紅卍字会はフーチという器具で神意を読む宗教だった。
原典より
とくに直接的な契機は、バハイ教の女性布教師のフインチとルートの大本訪問によってであった。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。