三十人の代わりに沈んだ松王
どんな伝承か
築島は経島ともいい、今の兵庫津の地であろうという。平相国が遷都を志したためか、応保元年二月上旬、阿波民部重能を奉行として畿内の課役五万人を集め、塩打山を崩して海面三十余町を築き出した。二度築いても土石が流れて元の海に戻る。陰陽博士阿倍泰氏が占うと、海底の竜神が陸地になるのを惜しんでいる、三十人の人柱を沈め、大小の石に一切経を書写して海底へ納めよと出た。生田の森に関を据えて旅人を捕らえたが、兵庫の者だけは免れた。三十人を沈めると決まると親族が嘆き集まり、大井民部の嫡子松王が、自分ひとりを沈めて三十人を助けよと願い出た。こうして島は成り、松王を石棺に納めて沈め、跡に築島寺が建てられたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第8巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全133話(滋賀・京都・兵庫=近畿)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。