夢告で浪速へ移った頬焼地蔵
どんな伝承か
専修院は願生寺の西に接し、地蔵坂の南にある浄土宗の寺で、慶長二年に周伝が開いた。この一帯はもと紀州へ通じる街道にあたり、路傍の松林は死者を葬る場所で、変死した身元の知れぬ者も多く埋められた。雨の夜には陰火が飛び、泣き声が聞こえたという。周伝はその傍らに草庵を結んで念仏を唱え、冥福を祈ったのが寺の始まりである。境内の地蔵は、もと鎌倉茅原の里にあった。正保三年の春、行脚僧の関室がここを通り、笠を地蔵堂に下ろすと、その夜の夢に地蔵が現れ、浪速へ行きたいので背負って行けと告げた。村人も同じ夢を見たといい、関室は像を負って当地へ運んだ。頬に焼け跡があるので頬焼地蔵と呼ばれる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第9巻』は、日本伝説大系編集委員会が編んだ伝説資料集の一巻である。三重・奈良・和歌山・大阪の各地に伝わる伝説を、三輪山・安珍清姫・弘法清水・油掛け地蔵など百余りの話型ごとに集める。各話型は例話を冒頭に据えて『日本伝説名彙』などとの対応を示し、〔類話〕に伝承地と出典つきの梗概を並べ、〔文献〕に近世以前の史料の原文を添えて補う構成をとる。