義経上陸から屋島までの道行き
どんな伝承か
『阿州奇事雑話』の要約。義経は小松島浦に上陸し、土地の者が地名を勝占と答え、浪人が道案内をした。田野と芝生の境の小山に旗を立てたので旗山、西須賀村で土橋が落ちるのを見て平家の落橋、大谷村の北山で後続の軍勢が揃ったのを見下ろしたので勢見山、下町村の八幡を伏し拝んだので伏拝み八幡と呼ぶ。板野郡では大山寺の観音講の人々が逃げたため弁慶らがその酒食を飲み食いし、代償に馬の鞍を石に置いた。これが判官の鞍置石で、駒をつないだ松は駒つなぎという。屋島の近くで、案内役の勝浦の高輪某に太刀と弥陀三尊像の画を与え、添書に判官の直判と弁慶の筆を入れた。高輪氏の子孫の徳島の銭屋藤兵衛がこれを伝えていたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第12巻』所収の「文化叙事伝説」全139話(香川・徳島・愛媛・高知=四国)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。