公津原の護摩壇と新勝寺の不動明王
どんな伝承か
成田山新勝寺の本尊である不動明王は、天慶の乱のとき将門の降伏を祈らせるため、朱雀天皇が寛朝僧正に命じて下総へもたらしたものと伝える。もとは弘法大師の作で、はじめ京都の神護寺の護摩堂にあったという。寛朝は海路で尾垂浜へ上陸し、成田市の公津原に護摩壇を築いて修法した。二十一日目の満願にあたる天慶三年二月十四日、将門は敗れて乱は平定する。都へ帰そうとすると不動尊は動かず、この地に止まるとの告げがあったので堂に安置したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第5巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第5巻』は、叢書「日本伝説大系」の一巻をなす伝説資料集である。埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨の伝説を扱い、二つの太陽、蹴裂明神、ダイダラボッチ、平将門、源頼朝、豪徳寺の招き猫、黒塚、山の背競べ、親捨てなどの話ごとに、口承を重んじて選んだ例話を掲げる。各項は例話に〔類話〕〔文献〕〔参考〕を添え、類話は伝承地ごとに梗概で示し、文献は近世以後の史料を原文で抄出し、柳田・高木の分類による話型名を併記する。