炭焼五郎治が建てた長谷観音堂
どんな伝承か
長谷観音堂は大窪村にあり、鹿屋川の流れに臨んで建つ。堂の造りは古く巧みで、仏像は白木で作られている。光背は後の世の作らしく梵字などに彩色があり、権律師慶朝の名が裏に記されている。もとの光背と見える雲形の彫り物も、破損して仏厨の内に残る。里人はこう伝える。炭焼五郎治という者が都からこの地に来て妻を迎え、常に炭を焼いて暮らしていたが、山中で土の中から銅の出るのを見つけた。それを都へ持ち帰ってから、世に並ぶ者のない富裕の家となったという。五郎治は都にいたころから長谷寺の観音を信じており、この恵みは観音の力だとして御影を写させ、堂を建てて霊像を安置した。それでこの地を長谷山と呼ぶようになったと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。