塩沢の山城と夜討沢の落城
どんな伝承か
『新篇武蔵風土記稿』などに長尾意玄入道の伝承が多く載る。山内上杉の家宰であった意玄は文明八年に主家に反旗を翻し、武州寄居の鉢形城に立て籠もったが、敗戦が続いて鉢形を捨てた。秩父へ落ちのびた意玄は、最初に長尾沢の奥に立て籠もり、次いで常木の向かい側の塩沢に山城を築いたという。城跡には調馬場・鐘撞場・相撲場などの地名が残る。眼下の夜討沢は、夜中にこの沢口から攻め入られて城が滅びたことに由来するといい、深井対馬守が石上の切所で敵を支える間に意玄は落ちのびたと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父の伝説と方言
『秩父の伝説と方言』は、秩父市教育長鶴沢福松の序を付し、編集委員が執筆整理にあたって編んだ秩父地方の伝説と方言の集成である。秩父市と秩父郡に伝わる伝説を集め、武甲山麓のジジイ・ババア石、橋立鍾乳洞の悪龍、畠山重忠や坂上田村麻呂にまつわる話、伐ると祟る天狗松などを語り口調で記す。伝説は石・水・塚・屋敷跡・山と人物・地名・社寺および城跡・木に関する八つの部に分け、話によっては他地方の類話を注記する。