負八幡と鉄砲祭の由来
どんな伝承か
小鹿野町飯田の八幡神社の大祭は十二月十五日に行われ、鉄砲祭として知られる。社の起こりは、大同三年に播磨国から落ちのびた播磨一族が上野から万場に入り、峠を越えて倉尾の馬上から上飯田に土着した際、携えてきた八幡神を祀ったことにあるという。初めは三山川のほとりの岩穴(今の八幡淵)に置いたが、川向こうで不便なため今の地に社を移したので、負八幡とも呼ぶ。鉄砲祭の名は、畑を荒らす鹿や猪を鉄砲で追い払ったこと、また落人の子孫の猟師が祭りにかこつけて火薬を試したことから出たという。行列の大名行列は、忍藩の領主が病の全快を感謝して参詣したことに始まると伝える。
原典より
小鹿野町飯田、八幡神社の大祭は十二月十五日に行われ、鉄砲祭として知られています。—— 秩父の伝説と方言 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父の伝説と方言
『秩父の伝説と方言』は、秩父市教育長鶴沢福松の序を付し、編集委員が執筆整理にあたって編んだ秩父地方の伝説と方言の集成である。秩父市と秩父郡に伝わる伝説を集め、武甲山麓のジジイ・ババア石、橋立鍾乳洞の悪龍、畠山重忠や坂上田村麻呂にまつわる話、伐ると祟る天狗松などを語り口調で記す。伝説は石・水・塚・屋敷跡・山と人物・地名・社寺および城跡・木に関する八つの部に分け、話によっては他地方の類話を注記する。