大槻の地名を生んだ槻の大木
どんな伝承か
大槻という地名は、古くは大豆生などとも書かれていた。大槻と記すようになったのは足利時代のころからで、一本の槻の大木に由来すると伝えられる。その槻は今の大槻小学校の東側に立っていたといい、枝葉は東西に四十一メートル、南北に四十五メートルにわたって茂り、幹の太さは十五メートルもあったという。夕日にできる影は堤の地区にまで届くほどで、この途方もない大きさから「おおつき」の地名が生まれたとも語られている。
原典より
大槻の地名は、昔は大豆生などと書かれていた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。