畔に飯を埋めた百姓の塚
どんな伝承か
舘村の百姓たちは毎日、親方様である名主の田植えに使われて、自分の田の仕事ができなかった。長い間こうして酷使されてきた百姓たちは、ついに抵抗をはじめた。百姓たちは昼飯を田の畔に埋めて、足りない足りないと何回も毎日運ばせたという。ここに後年、塚を築き桜を植えて飯供養をした。いまの伊勢神社の裏の田を今も飯塚という。なお註として、明治元年十月に会津の方から来た百姓の暴徒に、この名主の家も襲われ打ちこわされたと記されている。
原典より
舘村の百姓たちは毎日親方様(名主)の田植えに使われて、自分の田の仕事が出来なかった。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。