領地を争った奈登羅が里の合戦
どんな伝承か
このあたりは昔、奈登羅が里といった。常夏川をはさんで西を栗森備中、東を赤津治部左衛門が領し、境を定めるために栗森側は片葉葦を、赤津側は真蘆を植えた。川の西に真蘆が生えれば赤津の地、東に片葉葦が生えれば栗森の地と取り決めたが、争いは絶えなかった。安和二年四月、栗森氏は赤津氏が猪苗代湖で舟遊びをする隙をついて館へ攻め入る。知らせを受けて引き返した赤津氏とこの原で激戦になった。栗森備中は討たれたとも逃げのびたともいう。勝った赤津氏は里を残らず領し、地名も赤津と改めた。戦場となった原はいまの桑木原と伝わる。
原典より
昔の地名は、奈登羅が里といって、栗森備中は常夏川の西を、赤津治部左衛門は東を領していた。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。