伊達勢に落とされた高玉城
どんな伝承か
郡山市熱海町の高玉の北裏の山が三段になっているのは、昔ここに城があった名残だという。城には高玉太郎左衛門という殿様が居城し、戦のないときは下の館にいた。星家は家老、医王田家は医者を務め、古川や阿部の家来も住んでいたという。天正十八年、伊達政宗に攻められ、片倉小十郎の軍によってついに攻め落とされた。落城のとき荒井新兵衛とその嫁も死に、家来六十人も皆死んだが、子ども一人と乳母が逃れて上屋敷の伊藤家に育てられ、後に神主となって会津へ行ったと伝わる。山の麓の高司神社は、太郎左衛門が城の鬼門よけに建てたものだという。
原典より
熱海町の高玉の北裏の山が、三段になっているのは、昔、城だった名残りである。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。