大鳥貝の神助と粒良貝の名
どんな伝承か
天正十五年、猪苗代弾正盛国と盛種の父子が争い、盛種は舘の横沢城へ逃げ込んだ。舘の城主横沢彦三郎と家臣の土佐守らはこれをかくまい、伊達方に組する盛国を憎んで、盛種を助けて湖上からの金曲城攻めを企てた。その戦勝を岩上山上の奥之院岩上明神に祈願した帰り、畠で大鳥貝を見つけた。これを神霊の加護として勇み、この貝を軍に用いて金曲城を攻め落としたという。そこからこの地を粒良貝と呼ぶようになったと伝えられる。
原典より
天正十五年、猪苗代弾正盛国と盛種父子争いで盛種が舘の横沢城に逃げこんだ。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。