三社熊野権現と雨乞いの神事
どんな伝承か
源義経二十七騎の一人鈴木三郎重家が、熊野権現の尊体を鎧の袖に包んでこの地に祀ったと伝える。義経は兄頼朝にそそのかされた藤原泰衡のためにあえない最期を遂げたが、その際、家士の重家を側近く呼び、生き残って一同の菩提を弔えと諭したという。重家は出羽路へ流浪し、小野川の東大佐田に留まって尊像を祀った。これを鈴木の宮といい、『米沢事蹟考』に記される。その分神を祀ったのが夏刈の熊野権現だという。入生田の熊野権現、露藤の熊野権現と併せて三社熊野権現と称し、旱天のとき三部落の人々が集まって雨乞いの神事を行うとたちまち雨が降ると言い伝える。
原典より
源義経二十七騎の一人、鈴木三郎重家が熊野権現の御尊体を鎧の袖に包んで此の地に祀ったと云われております。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。