火をのがれた露藤の焼け地蔵
どんな伝承か
露藤の白藤山宝岳寺は明応九年の春、米沢の上郷浅川にある瑞雲院の徒弟、中嶽泉波禅師が開いた寺で、はじめは現在地より二町ほど離れた平蔵在家の古寺場に建てられていた。禅師は子育て地蔵尊を信仰し、本堂に安置していた。ところが安永二年二月十七日、神燈から火が出て本堂も庫裡も全焼した。地蔵尊も焼けてしまったものと思われていたが、そこから西へ二町ほど離れた場所で半焼の姿のまま見つかった。のちにそこは地蔵屋敷と呼ばれる。村人は驚いて仮堂を建てて安置し、寛政年間に宝岳寺が現在地へ移ると地蔵堂を一宇建てた。今は子育て地蔵、延命地蔵として名高い。
原典より
露藤部落の白藤山宝岳寺は、明応九年の春、米沢市上郷浅川の瑞雲院の徒弟、中嶽泉波禅師によって開かれ、現在地より二町程離れた平蔵在家の古寺場という所に建てられました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。