宝珠の上で曲芸した三重塔の棟梁
どんな伝承か
安久津八幡宮の境内、三島池の中島に建つ三重塔は、二井宿村の名匠半七の作と伝えられる。米沢城下の御用商人鈴木某の寄進によるもので、その精巧さを賞賛しない者はなかったという。明治三十五年の暴風で倒れ、のちに高畠町の新藤伊藤太によって寄せ木細工で再建され、今は県の重要文化財である。もとの棟梁右源太は屋代の出身で、上方で建築を学んで名工となった人であった。落成の日は三日三夜続く大施餓鬼の供養でもあり、近郷近在はもとより米沢からも人が群れ集まり、赤飯は道が人の波で通れず有無川を通して運んだ。右源太は塔の頂の宝珠に登り、扇子を手に曲芸を見せて群衆に汗を握らせたと伝えられる。
原典より
安久津八幡宮の境内、三島池の中島の三重塔は、二井宿村の名匠といわれた半七の建築と伝えられています。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。