母を大八車で日光へ運んだ孝行
どんな伝承か
上和田村の百姓代や名主が連名で、上杉氏の代官山吉源右エ門へ浅森の孫惣の親孝行を上申した明和二年二月の古文書が残っている。上新田の浅森山麓に住んだ孫惣は、宝暦八年に父を亡くし母と暮らした。母は足が立たず、外出のたびに孫惣が抱いて歩いたが、宝暦九年四月、日光を参詣したいと口癖のように語った。孫惣夫婦は八年かけてわずかな収入を蓄え、大八車を造って母を乗せ、下野の日光山へ旅立った。山路は峠続きで木橋や吊り橋は車が渡れず、母を背負って運んでは車を運び直したという。帰りに江戸へ出たところ役人に調べられ、稀に見る親孝行として奉行所から上杉家へ達しがあり、白銀二十枚を賜った。
原典より
明和二年二月、上和田村百姓代藤右ヱ門・太郎左工門・組頭九兵工・加左工門・名主清右エ門の名を列記して、上杉氏の代官、山吉源右エ門へ浅森の孫惣親孝行のことを上進した古文書が残っています。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。