大石左膳が築いた糠野目備荒倉
どんな伝承か
上杉氏が米沢に左遷されたのは慶長六年のことで、会津百二十一万石から三十万石の米沢へと移された。当時の米沢は林や草原が多く住居もまばらであった。家老の直江兼続は、藩を富ませるにはまず開拓と殖産だとして武士を荒野の開拓に当たらせ、家士を各地へ散在させた。糠野目へも移住させて「御役屋」という今日の役所のようなものを設け、大石左膳という武士が御役屋頭を務めた。左膳は節操に富み、武士は兵器の充実と食糧の確保にあると常に力説し、微禄で貧しいながらもそのことに腐心した。江戸の学僧衡陽が一泊した夜、灯下で金を数える左膳に理由を尋ねると、弁財天に祈願した亡父の遺志を継ぐためだと答えた。
原典より
上杉氏が米沢に左遷されたのが慶長六年のこと、会津百二十一万石から三十万石の米沢へと移されました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。