くきたちの花を手向けた花立て坂
どんな伝承か
花立て坂の名の由来には二種類の言い伝えがある。一つは、今から七百七十年ほど前の源平の戦で壇の浦に平家が滅んだ後、生き残った一族が奥羽山脈を越えて日向山に入って来たという話である。当時この辺りは湖で、人の住む所などなかったという。彼らは日向山に咲いていた「くきたち」の花を、時沢の大師森山にある安念大師の墓の方へ向けて立て、毎日祈り続けた。すると水は日一日と減っていき、ついに人の住める土地となったのだそうである。もう一つは、安念大師が京で大師の位を頂いて帰った時、この土地は湖であったので、日向山に一面に咲く「くきたち」の花を立てて水の引くことを祈り続けたという話である。
原典より
花立て坂について二種類の云い伝えがある。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。