醍醐寺五大堂の御剣が滲ませた血
どんな伝承か
将門の死を神罰と結びつける伝えは広く信じられ、多くの書物にその痕跡が見られる。山科の醍醐寺に伝わる『醍醐寺縁起』によれば、延喜の帝すなわち醍醐天皇の御願によって建てられた五大堂の本尊が手に持つ御剣が、将門の滅んだそのときに、じっとりと血をにじませたという。著者はこれを、神仏の冥罰によって将門が討たれたとする伝承の一例として挙げ、将門の反乱当時、朝廷が名僧を七大寺に招き八大明神に幣を捧げて調伏を祈った『将門記』の記述と呼応するものと見ている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。