石橋山の敗戦と景時の見逃し
どんな伝承か
湯河原を出た頼朝は、早川党の進言を受けて米神から石橋山にかけて陣を敷いたが、八月二十二日の夕方、三浦勢の合流を恐れた大庭景親らが夜戦を仕掛けてきた。多勢に無勢で頼朝方は敗れ、山中へ散り散りに逃げる。今はみかん畑となった古戦場には、先陣で討ち死にした佐奈田与一義忠を祀る佐奈田霊社などが残る。翌日の落武者狩りで、湯河原の杉山まで落ちた頼朝主従は倒木の洞に隠れたが、中をのぞいた梶原景時は目が合いながら、誰もいないと報告して見逃したという。著者は、この話が源平盛衰記にしか見えず、後に景時が重用されたことを説明するための創作だろうと見ている。
原典より
頼朝は絶対絶命のピンチを梶原景時によって救われたのだ。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。