千騎坂・万騎坂
どんな伝承か
源頼朝は石橋山の合戦に敗れて房総へ逃れ、再起を図った。安房郡三芳村の平松城にいた安西景益を呼び寄せると、千代の橋のたもとに五十騎の侍が集まったため五十騎橋と呼ばれ、さらに丸の御厨から鴨川の磯村の坂に至った時には万騎に達していたので万騎坂と名づけられたと伝える。富津市吉野を通った際には百騎であったため百坂、君津市の小山野と植畑には三百騎坂、君津市大井から木更津市矢那へ抜ける坂は千騎坂と呼ばれ、いずれも頼朝の軍勢の数にちなむ坂の名だという。
原典より
源頼朝が石橋山の合戦に敗れて房州に逃れ再起を図ったが、安房郡三芳村の平松城にいた安西景益を呼び寄せたところ、千代の橋のたもとに五十騎の侍が集ったので五十騎橋といい、更に安房の丸の御厨から鴨川の磯村の坂に来たときには、既に…—— 房総の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の伝説(平野馨)
平野馨編『房総の伝説』を全245話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。