頼朝の軍勢が増えていった坂の名
どんな伝承か
源頼朝は石橋山の合戦に敗れて房総へ逃れ、再起を図った。安房郡三芳村の平松城にいた安西景益を呼び寄せると、千代の橋のたもとに五十騎の侍が集まったため五十騎橋と呼ばれ、さらに丸の御厨から鴨川の磯村の坂に至った時には万騎に達していたので万騎坂と名づけられたと伝える。富津市吉野を通った際には百騎であったため百坂、君津市の小山野と植畑には三百騎坂、君津市大井から木更津市矢那へ抜ける坂は千騎坂と呼ばれ、いずれも頼朝の軍勢の数にちなむ坂の名だという。
原典より
源頼朝が石橋山の合戦に敗れて房州に逃れ再起を図ったが、安房郡三芳村の平松城にいた安西景益を呼び寄せたところ、千代の橋のたもとに五十騎の侍が集ったので五十騎橋といい、更に安房の丸の御厨から鴨川の磯村の坂に来たときには、既に…—— 房総の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の伝説(平野馨)
『房総の伝説』は、平野馨が安房・上総・下総の旧三国、ほぼ今の千葉県に伝わる伝説を選んで編んだ資料集である。ホトトギスやワラビの由来、片葉の芦や頼朝の箸の杉、弘法の井戸、将門や八幡太郎の話、坂戸神社の人身御供、証誠寺の狸など、動植物・石・池・地名・家・祭りにまつわる伝説を市町村名を添えて記す。はしがきに示す自然伝説・歴史伝説・信仰伝説の三部に分け、解説や論評を加えずに書き連ね、似た話のある土地も併せて挙げる。